タイタニック/実話?日本人唯一の生存者生き残りの方についてまとめてみました

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レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットが出演した1997年公開の『タイタニック』。

ご覧になられたことがあるでしょうか?公開された当時は社会現象にもなり大変話題になりました。

壮大なスケールの映画です。

私も当時映画館へ足を運んだ1人です^^

晩年のローズが最後に海に最後まで持っていたものを思いを声に乗せて海に投げ入れる所が印象的でした。

そんなロマンチックな話ばかりではありませんがでした。

タイタニック号は最新のテクノロジーを注ぎ込み、『不沈船』と呼ばれていました。1912年英国のホワイトスター汽船が大西洋横断航路用に建造し、世界最大の客船だったタイタニック号は同年4月10日にサウサンプトンを出港。ニューヨークに向けての処女航海中、14日午後11時40分カナダのニューファンランド沖で氷山と衝突、よく15日午前2時18分に沈没しました。

救命ボートはというと1178人分の用意しかなく、約2200人の乗員乗客のうち1500人以上が犠牲になりました。

考えても想像のつかない悲劇がありました。このタイタニックに沈没ははるか昔の外国の話。。。というだけではありません。

日本とも悲しいかなつながりはありましたのでまとめてみました。

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タイタニック唯一の生還日本人の非難

タイタニック号乗船客のうち唯一沈没後生き残った日本人が細田正文さんがいました。

ミュージシャン細野晴臣さんの祖父なんです。

細田正文さんは鉄道院の第1回留学生として帰路、沈没事故に巻き込まれました。

救出され九死に一生を得たものの、いわれのない中傷を西洋人から受けていてのだとか。

具体的な中傷内容としてはイギリス人ローレンス・ビーズリー氏の日記に『無理矢理(救命)ボートに乗ってきた嫌な日本人がいた。』と書かれていたそう。

 

何のために生きて帰ってきたのかともがきますよね。。。

 

生還後非難されていた細田正文さんですが、1997年ビーズリー氏と同じボートに乗っていたのは中国人と判明。汚名は晴れたのでした。。。

 

しかし助かったのにもかかわらず中傷があったのには苦しまれたでしょうね(><)

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非難は本当にあったのでしょうか?

実際はビーズリー氏の日記には非難した記述はありませんでした。

『タイタニックの日本人』を非難したのは1956年に出たウォルター・ロード氏の『タイタニック号の最期(筑摩書房から出ている書名)』からで、それまでは非難記事は存在しなかったことが細田正文さんの次男・細野日出男氏の知るところになりました。

元々は生存者に言わせると『救命ボートにこっそり乗っていたのはすべて日本人か中国人』と記載があっただけとのこと。ロード氏本人も『日本人だけ』なんて言い切ってないんです。

フランス人やイタリア人なども非難を浴びていたりで日本人だけが責められているわけではありませんでした。

さらなる調査で細田正文さんを非難していたのは西洋人ではなく日本人だったようだということも判明しました。

細田正文さんは「女、子供が優先と知りながら、救命ボートが目の前を降りていくときたまたま空きがあったから撃たれることを覚悟で乗り込んだ。」というようなことを語っていました。正直に話されていたようですね。

生きることに必死で仕方ない状況だったのでしょうね。

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名誉回復

1997年名誉回復となる話が出てきました。

 

えっ?この時期になぜ???ですよね。

実はこの頃ジェームズ・キャメロン監督・脚本による映画『タイタニック』が放映された年なんですよね。

『日本人への非難があった。』と記述した新聞記者への取材ではビーズリー氏の手記を使い映画のPRをしたことが判明しました。ビーズリー氏の手記を調べも確認もせず、過去に記事だけを元に書いたもので『西洋人による非難』はでったあげでした。映画の宣伝のため人を傷つけたことになりますね。。。

ビーズリー氏の日記には下記のことが書かれていました。

誰であれ、故意の嘘を広めて人々に恐れや悲しみをもたらすことは犯罪だ。報道の道義的責任はとても大きい。

新聞記事だけをあてに書いたでっち上げ宣伝。

安藤氏が元の書物を調べるまで、誰にもこのことがわからなかったということは、いかに「きちんと調べずに書かれている」記事が世に多く出ているかを表していますね。

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本の中の真相

『封印されたミッキーマウス―美少女ゲームから核兵器まで抹殺された12のエピソード』

安藤健二さんが書かれた本です。

この本の中に今回の『タイタニック』の沈没事故の生還した日本人のことが上記のように書いてありました。

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細野正文さんの生涯

新潟県の屋敷は九百坪という豪農の四男として誕生。

幼いころから勉強熱心で一橋大の前身である東京高等商業学校を卒業し、逓信省の鉄道作業局に勤務。ちょうど日露戦争の時代でロシアへ鉄道研究の目的で留学。

イギリスに寄り帰宅しようとしたときタイタニック号を知人から勧められサウサンプトンに寄港しており乗り込んだ。

 

生還の際の出来事については上記で触れているが、死を覚悟していた中での奇跡に近い生還である。同時にタイタニックの一件での正文の手記の信ぴょう性が認められるまでは卑怯者のレッテルが貼られ細野家はひっそりと暮らすこととなる。

事故から1年後には鉄道員副参事の地位を退くこととを余儀なくされる。

嘱託として鉄道員の職に留まったものの表舞台には出なかった。

46歳(大正6年)の時細野正文さんに4男日出臣が誕生、ミュージシャン細野晴臣さんの父ということになります。

定年まで細野正文さんは鉄道員を勤め、大正14年岩倉鉄道学校の講師になり、駅の業務や車掌の業務を教えた。

昭和14年細野正文さんは68歳で亡くなったが、最後までタイタニックのことには触れず、語ろうとしなかった。

遺品整理にてタイタニック号からの生還について書き留めた手紙が発見。

ボートに飛び乗った時の心境を記している。

「最愛の妻子を見ることも出来ざることかと覚悟しつつ、凄愴の思いにふけりし今男一人飛び込むのを見て」

と意を決して飛び乗ったさまが書かれている。

どれだけ勇気が要り妻子が原動力になったか計り知れないですね。

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孫・細野晴臣さんが知ったきっかけ

孫細野晴臣さんが祖父細野正文さんがタイタニック号の乗客だったことを知ったのは小学3年生くらいの時で『SOSタイタニック/忘れえぬ夜(1958年)』という映画をご両親と見に行き、映画の帰りに聞かされたとあるインタビューにて語っています。

細野晴臣さんは映画を見終わったばかりということもあり、大変驚いたそうです。

夢のような映画の中にある大事件の世界が直接自分と関係あるなんて知ると驚くのも無理はないですね。

それも今では汚名返上となってはいますが、汚名が着せられたまま過ごした時代が長い細野晴臣さんも大変な思いをしたでしょう。

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まとめ

映画『タイタニック』で当時を知る。。。著書で『タイタニック』を知る。

ただ豪華客船に乗って、ただ航海をして事故にあって『悲惨だったね。』ではないんですよね。よく未だテレビにも実際に沈んでいる『タイタニック』や最後まで添い遂げると最期の夫婦や船で働いていた食堂の職人さん、音楽家の人たちが取り上げられたりしていました。

純愛だとか正義感ある人たちだと感動しつつ見入っても映画で当時観たなとか、外国の話だなと思うことが多かったです。

日本人が乗客にいたなんて、しかも助かっているではないですか!しかし、非難を浴びている。非難を浴びていたのは日本人だけではない。

なんだか悲しくなりましたが当時の風潮だったのですね。

悲しい現実ですが未だに人気といいますかミステリアスで興味を持って『タイタニック』に魅了されている人々がいます。

不思議な世界観ですね。

 

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