東京オリンピックのスケートボード競技の解説者として今話題になっている瀬尻稜さん。せじりさんはアスリートとして世界で活躍していましたが、今、解説者として注目を浴びていますよ^^
今回は『瀬尻稜がオリンピックにでないワケは?解説者に徹した理由まとめ』と題して調べてみました。
瀬尻稜がオリンピックに出ず解説者になった理由
スケボーの解説者が「やべー」で始まり「やべー」で終わるフランクな感じでワロタ。選手を呼び捨てなトコとか身内感あってワええわぁ〜 どんな人かな〜と気になったらレジェンドや〜ん #スケートボード #瀬尻稜https://t.co/qFdspwLubR pic.twitter.com/bMH4Rz86fB
— ニャーイチ (@nyaaaaaaa_1) July 25, 2021
瀬尻稜さんは熱い思いがスケートボードにあって東京オリンピックに出場しなかったようです。
幼いころから父親に教わっていたことがあったんだとか。それは『勝つことが一番』だということ。ちょうど高校生の年頃の16歳くらいまでは勝つために大会に出場していたんだとか。
ところが海外の大会に出場するようになって勝ちにこだわるばかりでなく、大切なことは楽しむことが大切だと感じ始めたそうです。
スケートボードが東京オリンピック競技に決まった時期と瀬尻稜がスケートボードを楽しむことを重要視し始めた時期とがちょうど重なったんだとか。
『いや、オリンピックは出ないっしょ。俺は楽しくスケボーするっしょって思って、目指さなかったんです(笑)』
東京オリンピック内定は十分に取れるレベルにいたのですが、楽しむことを選びオリンピックは目指しませんでした^^
瀬尻稜さんにとっては今はスケートボードは楽しむものなんですね。
スケートボードの解説者をされたのも楽しむためだったのですね。スケートボード界では常用されている言葉とは言えど、独特のしゃべり口で観ているほうも楽しめました!
昨日も今日も思ったけど倉田アナの実況と瀬尻稜の解説 この二人めちゃくちゃ良いコンビだな。昨日はビッタビタで 今日はゴン攻めがパワーワード pic.twitter.com/ZUjnhux29j
— もち (@ketsukusao) July 26, 2021
スケートボードを始めたきっかけ
瀬尻稜さんがスケートボードを始めたきっかけは父親の影響だそうです。サーファーだった父親が縁でスケートボードと出会い始めたんだとか。
幼稚園の頃に滑る楽しさに気づき、小学生になるころにはアマチュア大会に出場!たくさんの優勝という成績を残しています。
11歳で日本スケートボード協会のプロクラスグランドチャンピオンになりました。
11歳という小学生でスケーター界でトップクラスについたのですね。すごい才能なんですね!努力はあったとは思いますが、持って生まれた運動神経もあったのかな?と思います。すごい!
サーファーだった父を通じて、スケートボードに出会ったのが幼稚園の頃。滑ることの楽しさに魅せられた瀬尻は、父の熱心な指導もあり、小学生の頃には出場するアマチュア大会で軒並み優勝。わずか11歳で日本スケートボード協会のプロクラスグランドチャンピオンに輝き、天才スケーターとして話題になった。
引用元:https://the-ans.jp/column/110916/
瀬尻稜の世界大会5回優勝の実力がすごい!
瀬尻稜さんは2013年チェコで開催されたワールドカップにて日本人初優勝を達成。2015年には「Street League」というスケートボード世界最高峰の大会に日本人として初出場。今まで世界大会では5回優勝しています。
言語が苦手だそうですが、大会を経験するにつれ上達し、スケートボードが上達し結果を出すと認めてもらえる感じているんだとか。
大きな賞金が出るような大会はなかったし、あったとしても自分の名前を売るだけの場所。いろんな場所からスケーターが集まるから、いろんなヤツと顔を合わせて、みんなで滑ろうっていうのが大会。言ってみれば、その1日だけの遊びの場みたいな感じで。それ以外の時は、自分の地元で好きなカメラマンと撮影して映像を作っていたんですよ。
引用元:https://the-ans.jp/column/110916/
自身の記録とは別に競争ではなく楽しむスポーツなんだと感じていたんですね。
瀬尻稜がオリンピックにでないワケまとめ
今回は『瀬尻稜がオリンピックにでないワケは?解説者に徹した理由まとめ』と題して調べてみました。
瀬尻稜さんがスケートボードを始めたころは競争心もあったかもしれませんが、今は心から楽しむものに変わったんですね。
解説を聞いていても楽しさや興奮が伝わってきました。
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